0今季大好調の朝ドラで
2ヒロインとも言われる程
大きな存在感を保つ葉山蓮子の

モデルになっている人物が
花子に負けない歴史上の
有名人なので調べます。

 

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柳原白蓮

 

本名 燁子(あきこ)

誕生 1885年(明治18年)10月15日

没 1967年(昭和42年)2月22日

 

大正三美人の1人で、その美貌から筑紫の女王と呼ばれ、佐々木信綱の門下生として短歌や詩、随筆などに才能を発揮した。

 

*ちなみに、大正三美人とは

 

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九条武子
京都女子専門学校(現・京都女子学園、京都女子大学)の設立者。
関東大震災で被災、震災復興にも励むが肺血症を発症し42歳という若さで亡くなる。

 

 

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林きむ子
日本舞踊協会監事で、俳優の故・藤田まことは甥にあたるそう。

 

 

または

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江木欣々
明治期の法律学者・江木衷の妻。
本名は栄子で号を欣々(きんきん)といった。

 

 

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柳原白蓮

である。

 

 

生涯3度の結婚

 

1度目は14歳の時で、子爵・北小路随光と、その間に生まれた嗣子の資武(すけたかと結婚。

15歳で男児を出産するが、子供は養母に取り上げられその上夫は外で遊んで家には帰ってこなかった。

そういった経緯で、孤独を感じた白蓮は5年後に離婚をし20歳で実家に戻ります。

体裁を重んじる華族では離縁した娘は恥とされ、白蓮は日常の挨拶以外外界との関わりを持つことができないような生活を強いられたともい言われています。

しかし、その生活の中で白蓮は詩を詠んで自分をなぐさめるとともに、どんどん歌の世界に魅せられていったのかと思います。

2度目は27歳の時、父の経営する炭鉱を引き継ぎ一代で「九州の炭鉱王」と呼ばれるまでに財を築いた伊藤工業社長で政友会代議士の伊藤伝右衛門(52歳)と結婚した。

伝右衛門は白蓮を大切にしたが、家の中にはすべてを仕切る女中がいてうまくいかなく、またもや孤独を感じひたすら短歌に没頭し始めた。

白蓮は、こうした結婚生活の苦悩や生きる孤独を短歌として吐き出すのですが、やがて福岡社交界や歌壇界で奥の人と交流し幅広く活躍することとなっていきます。

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白蓮事件

 

そして白蓮は、伝右衛門との結婚を棄てて3度目の結婚をするのですが、その事が「白蓮事件」として知られます。

その結婚は駆け落ちで、相手は社会運動家である弁護士の宮崎龍介といい、辛亥革命を支援した浪曲師の宮崎滔天の息子で白蓮の7歳年下でした。

歌人として知られていた柳原白蓮が滞在先の東京で出奔し、宮崎龍介と駆け落ちしたことが「白蓮事件」と言われてる。

望まない結婚から、気持ちの通わない伝右衛門との結婚生活に嫌気がさした白蓮は宮崎龍介と道ならぬ恋に突き進んだわけですが、3度目の結婚でやっと心が燃える本物の恋ができたのかもしれませんね。

新聞にもとり上げられ話題にったといいます、いわば公開絶縁状だったのです、当時、白蓮は命がけで男性を愛したのです。

しかし、当然2人だけの問題にとどまるはずはなく様々に大きな影響を及ぼしました。
そして、白蓮は宮崎龍介との子供(男児)を出産した後、断髪し尼寺に幽閉の身となってしまったそうです。

息子は立派に成長するのですが、戦死してしまい戦後、白蓮は平和運動にも参加したそうです。

緑内障で両目を失明しますが、歌を詠みつつ暮らし、昭和42年、81歳で永眠しています。

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